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いろいろいろ

加藤シゲアキ初の短編小説『染色』を読んだ。短編ということで非常に読みやすくもあるけれど、それゆえに非常に密度の濃い読後感を与える作品だった。(もちろん以前までの作品がそうではなかったということではない)

以下、おおいにネタをバレつつ感想のような、解釈のような、国語の長文読解でも夏休みの読書感想文でもないので、いち読者として思ったこと考えたことを正直に述べる。語っていたらやたら長くなってしまったことは反省している。

 

 

 

読み終えて、わたしがなによりもまっさきに気になったことは「なぜ杏奈は太らなければならなかったのか?」ということである。そこかよ!と言われそうだが、物語全体についての感想などは他の方々がもっと楽しく書いてくださっていると思うので、わたしは気にせずこの疑問に対して自分なりに考察したい。

作中における杏奈は唯一の常識人であり、また、唯一の不遇な人物だと思う。主人公のことを「いっちゃん」と呼び、主人公の友人たちとのつきあいもうまくこなし、主人公の体調不良には飛んできてつきっきりで看病していることからも、愛嬌があり、要領が良く、けなげで、適度にエロい(トイレでしちゃったことはさすがにあれだけどこの際目をつむろう)、彼女にするには実に最適な女だとわかる。さらに主人公の友人たちの「お久しぶりです」といった口ぶりや、芸術祭に3回も来ていることからも主人公とのつきあいは短くなく、移り気であったり短気であったりといった様子は見られない。

そんな「イイコ」な杏奈が、作中ではなぜか「太ったように感じた」「やはり太ったのか…」「また太ったような気がした」と再三体型の変化にふれられている。女性にとって「太った」と(特に異性に)言われたり思われたりすることは苦痛・恥辱を伴うことが多い。いくら「もともと細すぎた」などとフォローになってるようななってないようなフォローをされたところで、その女性のイメージは少なからずダウンしてしまうだろう。

そのうえに、主人公の「浮気」が重なる。「浮気をされる女=魅力がない」と、簡単に等式にしてしまうのも暴力的かもしれないが、そういった等式が完全に成り立たないわけではない。前半の杏奈ageとは打って変わった杏奈sageである。さらに言えば主人公は、後半で堂々と杏奈を「都合の良い女」扱いをしている。自身は美優とおえかきしてセックスして自由気まましておきながら、その美優との関係に変化が生じればあっさりと杏奈に縋る。杏奈こそが「彼女」であり、もっとも大事にすべき女であるはずなのに、「ここまでやってくれた杏奈を置いて美優に会いに行くわけにはいかなかった」などと平気で述べている。おいおい、杏奈の立ち位置ってなんなんだよと。あれだけ「イイコ」の印象付けをしておきながら、結局はたんなる「都合の良い女」扱いかと。著者は…加藤シゲアキは、杏奈をいったいどうしたいんだと。はたして杏奈への同情は愛情へと変わり、あやうく『野性時代』を床に叩きつけるところだった。実にあやうかった。

で。本題に立ち返って。杏奈が「太る」タイミング、つまり、主人公と杏奈がセックスをするタイミングは作中に2回ある。一度めは主人公が初めて美優のグラフィックを目撃し、セックスをした日。二度めは主人公が美優に悪戯し、彼女の狂気を感じた日の前日。「橋本杏奈」と「橋本美優」というふたりの「女性」と主人公が(少なくとも身体的には)深い関係に至るわけだが、ここで注目したいのは「橋本美優」の「無実体性」である。美優の本体はもしやスプレーの塗料なのではないかと感じられるほど、美優の肉体についての言及は少ない。性描写があるにもかかわらず、だ。「透き通るような白い肌」と肌の美しさについては(杏奈の体型と同様に)幾度か言及されているけれど、それ以上に彼女の腕を染めたスプレーの色が印象に残る。紺色に始まり、限りなく黒に近い色、オレンジ、海のような深い青、コバルトブルー、メタリックゴールド・パールグリーン・ブライトレッド、そして繁殖した菌のようなウルトラマリンとチョコレートブラウン。これだけでも人間かどうか不安になってくるのに、極めつけはスプレーをしていない美優の腕の描写だ。

色を脱いだ彼女の腕は不思議なくらい人間味がなく、キャンバスとなんら変わりないように思えた。(本文P162)

…まじか!キャンバスて!そんなにか!衝撃にうちふるえながらいよいよ「美優=塗料説」が濃厚になってきたところで、では杏奈はどうだったかと振り返る。美優が主人公を多種多様な色彩で染めたとしたら、杏奈はどんな「染み」を主人公に残したのか。

ふとシャツの裾を見ると杏奈の体液が付着していて、その染みを水で洗い流すと案の定びしょびしょになってしまった。(本文P154)

…体液である。カラフルな色彩とは一転、めまいがするほど生々しい生/性の痕跡である。ここにおいて「橋本杏奈」と「橋本美優」は完全に分かたれる。

肉体があり、そこに生々しく生も性も存在する橋本杏奈、肉体はあれど「人間である」という実体を色彩で覆った橋本美優。ふたりの女性はかたや女でありながら女として不十分な役割を背負わされ、かたや女でありながら最後の最後まで「女の人間」にはなりえなかった。物語が「塗料の匂い(=美優の痕跡、美優自身)さえ感じられなくなっていた」で締めくくられることからも、主人公のもとから去った美優にはとうとう実体は与えられなかったのだ。

だからこそ、橋本杏奈は「太らなければならなかった」。美優の本体がスプレーの色にあるなら、杏奈の本体はそのまま肉体にあるからだ。その肉体を強調するためには「太らざるをえなかった」のではないか。たとえそれが女性としての杏奈の存在を傷つけることになっても。

もちろんこれはいち読者が考えた末にたどりついた、いわば自己満足の結論であり、自らの疑問に一定の答えを出すことが目的なのであってそれが正しいかどうかは前提としていない。まったく見当違いかもしれないし(事実見当違いだろうし)、でももしかしたら正答にかすっているかもしれない。そんなことはどうでもいい。とにかくいまはわたしがいかに杏奈に同情し、そしていかに彼女のキャラクターを愛しているかを渾身の力で表現したいのだ。杏奈かわいい。杏奈だきしめたい。いっちゃんに杏奈はもったいない。ぎゅ。杏奈が太った理由なんて本当はないかもしれないけれど、「橋本杏奈」を愛する過程においてこれだけははっきりさせておきたかった。はーすっきり(あふれ出る自己満足感)。あと正直、この物語全体の感想を述べようとしたら「いっちゃん」に対する批判の嵐になりそうで怖いからやめておいたというのも否めない。

話題の「過激な性描写」については、しげさんがラジオで言っていた通りハードル上げすぎなせいで予想していたほどではないなという印象だった。もっとこう…テレビだったらピー音被せられちゃうような直接的な言葉のオンパレードだと思ってた。しかし重要なことは「アイドル・加藤シゲアキ」がこうした表現を用いたことであり、その尊い手指がその言葉を打ち込んでいる姿を想像するだけで世界に光は満ちるから、編集長のハードル設定はあながち間違っていないのかもしれない。

 

『アンドレス』の方も読んだけれど、これは連載が完結してからまたまとめて感想(?)など書きたい。正直『SPA!』を買うのはそのいかにも週刊誌的な内容もあって恥ずかしいのだが、しかしそんなことは言ってられない人生なのだ。