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彼らは音楽を理想し現実を映画した

映画『ジャージー・ボーイズ』を観に行ってきた。近所の映画館では今日(10月31日)が公開最終日でまさに滑り込みだったのだが、結果から言うと滑り込めてよかった。よかったどころか公開中週1くらいで観に来なければならない映画だと強く思った。イエーイギリギリセーフ~などと言って滑り込んでる場合じゃない。そんなギリギリで生きてる場合じゃない。

 

内容についてはあまり詳しく説明してもあれなので省略するが(説明が面倒だとかそういうことはミジンコたりとも思ってない。思ってない)、予告編を見て予想した通り途中から顔を覆って泣き始めてしまったくらい悲しい…一概に悲しいと表現するのは語弊があるけれど、とにかく涙があふれて止まらなくなる物語だった。ちなみに最終日の夜ということもあってかシアターはほぼ貸切のようなものだったので、おいおい泣いてもだれにもばれない。ばれてない。はず。うん。

しげさんも言っていたけれど、冒頭から「第4の壁を壊」してくる手法は確かに観客を作品の中に取り込むことにとてもポジティブに作用していると思う。わたしはもともと舞台が好きで、舞台と観客が作る「生」というか、そこでしか生まれえないやりとりに非常に魅力を感じているため、しげさんの言葉を借りるなら映画の「のぞき見スタイル」を少し苦手としていた。その苦手意識をしょっぱなかぶち壊されたおかげで、あとはもうなんの躊躇いもなく物語の、スクリーンの中に入っていけた。

観客に語り掛けてくる「壊し手」をメンバー4人が順番に担っているのも、それぞれの視点から「ザ・フォー・シーズンズ」を切り取っていておもしろいと思った。特にニック・マッシが「壊し手」のときにボブ・ゴーディオのことを「理想ばかり見ていて目の前の現実を見ていない」と表現していたのが胸に刺さる。メンバーから見たメンバー、メンバーから見たグループ、メンバーから見た社会、音楽、環境、家族。他にも「ザ・フォー・シーズンズ」を取り巻くすべての事象が主観的かつ客観的に語られていくさまは小気味よく、なにより「生きる人間」の力を感じて純粋に感動した。

 

フランキー・ヴァリが歩んだ、歩んでいる人生は、月並みな言葉だけれど本当に数奇なものだと思う。必死に努力して掴んだ夢や栄光がありながら、一方で家族とのすれ違いやメンバー同士の軋轢、娘の不幸と、外から見たスターの幸せも中身はこんなに脆いのだと思うとまた涙が止まらなくて、スターってなんだろう、売れるってどういうことだろうと真剣に考えてしまう。掴んだ栄光に正解も不正解もない、ないとわかってはいても、そこに思わず問いかけてしまいたくなるほどの痛々しさがあって観客ごと苦しい。画面越しに見ているだけの赤の他人がこんなにも苦しい。

そしてトミー・デヴィートの、グループを解散に導く要因ともなった借金問題。わたしは最初、トミーは態度こそ問題はあるものの、一番グループをビジネス的に考えることのできる頼れる人物だと思っていた。もちろんトミーはトミーなりに懸命にやってきたのだということは伝わる。伝わるけれど、それでもグループがバラバラになっていくのを見るとどうしても言いようのない感情が巡る。そのこともあって「ザ・フォー・シーズンズ」というグループは絆があるように見えて実はうわべだけなのではないか、結局は金と栄光に踊らされていただけなのではないか、と、強い猜疑心を抱いてしまった。しかし最後の「ロックの殿堂」入りのシーンでその考えは間違いだと悟る。絆とは目に見えて仲良くすることではなく、受け入れ、受け入れられることを言うのかもしれない。言うのだろう。フランキーとトミーのハグを見てわたしはまた泣いた。

 シゲ部で「おれはどの人物か」と考えながら観たと言っていたのでわたしもそれに倣って考えながら観ていたのだが、しげさんはニックだな、という結論に達した。これはあくまで個人的な見解であってその是非についてはご容赦願いたい。最初はクリエイティブな才能をもったボブかなとも思っていたけれど、ニックが脱退するシーンで彼がグループにおける自身の存在に対して発した言葉を聞いて納得した。

本編の最後、エンドロールとともに出演者たちが「あのすばらしき夜」を歌い踊るシーンはただただずるい。そんなことされたら泣いちゃう(すでに泣いてる)。それぞれの人生が交わって、それぞれの幸福と不幸が交わって、そうしてできあがった物語は本当に尊いし、その尊さのもつパワーを改めて見せつけられて泣かないわけがない。そのときにはもう「悲しい」という感情は抜け落ちていて、感情より先に涙があふれてくるというなにがなんだか状態だったので、改めてシアターが貸切状態だったことに感謝したい。

 

前述したが、わたしは舞台を好きになってからすっかり映画に興味をなくしてしまった。それまでも映画館に通いつめたりなどはしていなかったけれど、舞台の生っぽさに魅了されたことで完全に映画から離れてしまっていた。その「映画」にこうしてまたふれるようになったのは、ひとえに加藤シゲアキが与えてくれたすばらしいきっかけのおかげである。加藤シゲアキを知ったこと自体がわたしの世界を広げてくれたのに、そのうえさらに世界をぐいぐいやってくるからもうこっちは楽しくて仕方がない。楽しい。すっげー楽しい。じゃあ映画を好きになったのかと問われればそれは違うのだけど(どうやってもやっぱり舞台の「生」の方が好きなのだ)、自分の中に「映画」という選択肢ができたことが単純に嬉しい。そして改めて加藤シゲアキを好きになれてよかったと感謝するのだ。

とはいえ『ジャージー・ボーイズ』自体もともとは舞台だったからということも大きい。曲が終わるたびに画面の中の観客と一緒に拍手したい衝動に駆られてつらかったので、いつか機会があったらぜひ舞台版も観てみたいと思った。

 

ジャージー・ボーイズ オリジナル・サウンドトラック

ジャージー・ボーイズ オリジナル・サウンドトラック