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生まれた感情もまたそれを食べる食べていく

加藤シゲアキの短編小説『イガヌの雨』を読んだ。これまでも短編を読んだあとに感想を書いたことはあるが、どちらも発売からそこそこ時間が経ってからだったように思う。19日に発売されたものに関する記事をその2日後にしたためるというのは(それが早いかどうかは別として)、そのままこころの逸りの表れであり、それほどこの作品にこころも頭も指も動かされたということに他ならない。もちろん、今作以外の短編が響かなかったということではけっしてなく、それぞれがそれぞれの魅力に満ちていることは改めて言葉にするまでもないだろう。けれどそうした前提をもってしても、この『イガヌの雨』という作品は、大きな衝撃でわたしの中に入り込んだ。

以下、『イガヌの雨』についての個人的な感想のような解釈のような。おおいにネタをバレつつ、いつも以上に好き勝手散らかしているのでよいこは注意だ。

 

「イガヌ」。この言葉を初めて目に、耳にしたときのインパクトははかり知れない。造語というものは往々にしてそれだけで強い印象を与えるものだが、さらにそれが「食べ物」だと説明されたときの混乱はある種の不安感を胸に残す。「イガヌ」と言われただけでも戸惑うのに、そこに「イガヌを食べる社会の話」と重ねられれば俄然不安も、それゆえの興味も増すだろう。少なくともわたし個人としては、そういった類の気持ちを抱きながらこの作品を読み始めた。

最高だった。逸るこころのまま結論から述べるならば、これまでで最高の作品だと思った。『ピンクとグレー』に始まる長編三部作、いくつかの短編すべてを含め加藤シゲアキの紡いだ作品の中で、もっとも好きな作品だと素直な気持ちで断言する。

その魅力は「気味悪さ」という一言に集約することができる。これまでの、たとえば『アンドレス』がもつ「後味の悪さ」などとの類似した暗い印象とは一線を画す、生理的な嫌悪感・近寄りがたい拒絶感を抱くほどの「気味悪さ」が作品全体に渦巻いていた。イガヌの外見を想像したときに感じる純粋な不気味さはもちろんのこと、舞台である「2035年」という近いような遠いような、想像できるようなできないような未来、アトラクションなどの技術描写から感じるいかにも「ありえそうな」リアリティが、重ねて余計な気味の悪さを醸し出している。ただ単に気味が悪いだけ、想像もできない、あるいはフィクションらしいフィクションのもつ具体性のなさというものがあったなら、この独特の「気味悪さ」は生まれえなかっただろう。もしかしたらその年に本当にこういうことが起こるんじゃないか?と、指折り数えて一瞬でもいやな想像をさせるリアリティが、容赦のない実体をもって迫り背筋をふるわせる。その感覚がクセになる、怖いけど見たい、いやだけど好き──そういう不思議な作品だった。

作品中で、イガヌという存在は「侵略を目的としたエイリアンと思われたがそれは誤りで、その正体は完全栄養食品」であると人類に受け止められている。確かに攻撃性や殺傷能力をもたない彼らは「無害な」存在であると判断されるだけの根拠がある。しかし、殺傷能力がないことをそのまま害のないこととイコールするのは間違いだと考える。本当に恐ろしいのは外側を傷つけられることではなく、内側に入られることにあるのではないか。実際、イガヌは麻薬のようなその「曖昧で濃厚な幸福」をもってして人類の注意力や思考力、果ては記憶すら*1も奪い、文字通りの骨抜きにしている。美鈴の祖父が言うように人類から「イガヌのない生活」というひとつの重要な文化を奪ったという点において、やはり彼らは、人類を内側から支配し統制するエイリアンだったのだ。美鈴の祖父と、美鈴を除いて人類はそれに気づかない、気づいていかない。浸食されることは正しく暴力であるにもかかわらず。

ラストシーンで美鈴とイガヌが見つめあうシーンにはえもいわれぬ恐ろしさを感じる。まるでわたし自身がイガヌを食べて、イガヌの魅力にとらわれ、イガヌに支配されたかのように、その一文から目が離せなかった。気味が悪いと思いながら、3つの目を想像してみる。不思議と唾液が溢れてくるような気がして、おそらく次の瞬間に美鈴が選択するであろう未来を垣間見た感覚に陥った。

 

それにしても、なんて気持ちの悪い物語だったのだろうと、読み終えて2日経ったいまでも思う。最高に気味悪くて、最高に救われなくて、最高にいやしくて、最高にきたならしい。この物語を加藤シゲアキがつくりだすところを想像する。自分がなにより神聖視している対象が、いやらしくて下品な物語をつくりだしたときの、下界にいる自分のフィールドの中につまさきが侵入してきたような、一瞬の感覚。を、想像する。これは徹頭徹尾、完全にわたし個人の思い込みでしかなく、自分勝手な想像である。それでもわたしはこの物語が、この物語を紡いだ加藤シゲアキと、この物語が与えてくれる「思い込みを想像する」作業ごと好きなのだ。想像によって生まれる感情を言葉にすることはとても難しいので、その代わりにただ一言「いがぬ」と鳴いてみることにする。

*1:主人公の美鈴はイガヌを食べたあと祖母の穏やかな笑顔も思い出せなくなり、ただイガヌの顔ばかりを思い浮かべている。